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  書  譜


   孫過庭 原著 / 田邊萬平 解義     定価 (本体3,000円+税)
   A 5判 244頁                  ISBN 978-4-8195-0263-4  

   孫過庭の書譜を東洋美術の粋を知る著者が、豊富な知識と永年の
   書道体験を基に解説した名著です。


   

     序章
        書譜の筆蹟は王羲之の正統を継ぐものとして唐代における草書の代表作で
        あるが、その書論もまた漢魏晋以来の書論を系統立てたものとして最も高く
        評價されてゐる。
        隋が南北を統一して19年目に唐の天下となったが、政治における天下統一
        はあらゆる文化の様式に変化を起こさざるを得なかつた。書においては虞世
        南、欧陽詢、チョ遂良、太宗皇帝等が出現して、旧に倍して、羲之を推尊したが、
        これら初唐の名家が世を去ると、羲之の風は次第に勢力を失ひ、各種各様の
        風が抬頭しはじめた。その学書法においても作品批評においても、先人の常
        識に追従することを屑しとしなかつた。韓退之のごときは『石鼓歌』の中で「羲
        之俗書趁姿媚。数紙何可博白鵝」とさへ罵つてゐる。羲之の俗書は字形のお
        もしろさばかり逐つてゐる。あんなものはやつと白鵝と交換できる程度のものだ、
        といふ意味である。
        かゝる時代に在つて、羲之の典型を維持せんとして一大気焔を吐いたのが孫過
        庭であり、その思想をまとめたものが書譜である。したがつて一種の論文では
        あるが、しばしば時流に対する抗議の感情が爆発する。書譜を読むものはその
        語気、文勢を玩味することが大切である。
        書譜のごとき文體を駢儷文、又は駢四儷六文、略して駢儷とも四六文とも呼ぶ。
        この文體は六朝時代に全盛を極め中唐時代にかけて流行したもので、四字六
        字の対句を根幹として、これに多少の変化を工夫し、且つ小数の文字によつて
        句を繋ぐ一種の韻文である。ために思想内容に多寡あるものを同数の文字で
        対句を作らねばならず、勢い甚だしく無理することになる。そこで唐の韓退之等
        文豪は四六文を悪み、古文の復興運動を起こしたが、それでも四六文は永く後
        世まで典型として伝承され、上奏文、碑文、尺牘のやうな礼儀文的文章は今日
        までこれを用ゐられている。たゞ都合のよいことに、四六文はすべて対句で構成
        されてゐるので、一句見ただけでは全然意味の通じない語でも、両句を関係さ
        せると判断がつく。そこで漢文に弱い今日の学生に講義する時は、必ず原文を
        表解式に組みかへて対句の言ひ廻しに馴れさせるやうにして来た。この方法は
        大いに学生に満足を与へたので、本書にもこれを掲げることにした。
        本書は大学における私の講義ノートが本になつてゐる。曽て雑誌「書学」に全講
        を連載した時、各方面から単行本にとして出版するやうに勧奨を受けたが、私とし
        てはまだ落ち着かない個所があつたので、今日まで引き延ばしてしまつた。その間
        初稿が真っ赤になるまで筆を加へてゐたのである。
        最近、上海の中華書局から朱健新の著『孫過庭書譜箋証』なる書が出版された。
        これを見ると書譜の語句に関係のある古文献を羅列してあり、まことに便利なもの
        であるが、原文そのものの句法や思想を検討探索してゐない。古来支那人は精力
        的な博引傍証には徹底してゐるが、端的に文章を把握する勘が鈍い。経書の尨大
        な註疏を読んでつくづくさうおもふ。この箋証もその類である。例へば書譜の「五合
        五乖」論の中に「感恵徇知」の句がある。この句などは古来明快に解いた人が無い。
        箋証もまた一言のこれに及ぶものが無い。かゝる点に私の大いなる不満がある。さ
        ういふ意味で、私の書譜講義も何か学書者の思索に裨益する所があるのではない
        か、といさゝかの自惚れがないでもない。
        私は書譜を大学、研究所で11回講義してゐる。それでも明日の分は前日下調べする
        ことを怠らなかつた。調べてゐる時は何の疑いも無かつた所が、さて教壇で講義して
        みると自信を失ふ。今まで見えてゐた山が雲に隠れるやうなものである。一山が雲に
        蔽はれると他山が次第に煙つて来る。山吐雲、雲呑山といふ景観に似てゐる。ところ
        が車中などで不図疑雲が消えて、洗い流したやうな山容を見ることもある。読書の楽
        しみはこんなところにもある。さういう経験を書譜について幾度か重ねて来た。本書の
        読者もたゞ意訳を一読するのみで解つたやうな気持ちにならず、徹底的に原文を即し
        て思索してほしい。それには権威ある字典に就いて字義を確かめることから着手せね
        ばならぬ。そのために本書の字はことごとく正字體で執筆したのであるが、活字の組み
        代がいちじるしく嵩むといふので、不本意ながら原文以外は殆ど略字體にしてしまつた。
        戦後の国語政策が活字の改変によつて古文献を疎外してゆく罪は深い。
        尚、巻末に清の包世臣の論文『書譜寥』を掲げ訓読を副へておいた。これは書譜を
        読む者の必読すべき文献である。孫過庭は王羲之を推尊するあまり、その子獻之を中
        傷するやうなことまでしてゐる。書道藝術論としては卑怯な論法だが、当時の人気は獻
        之の典型へ移行してゐたので、やゝ乱調子になつたのではなからうか。包世臣は事実を
        もつてその誤を宸カてゐる。

           昭和43年春日              田 邊 萬 平 識
        

        

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